2025/04/23更新
こんにちは!SHINKODO WATCH Online Storeです!今や一ブランドだけでなく、腕時計の一大ジャンルとして世界に周知されているメイドインジャパンの代表格のG-SHOCK(ジーショック)。当ストアにも取り扱いがあり、身近なところでは家電量販店でも販売されている馴染みのあるブランドになっていますが、その人気のきっかけと道のりはどうだったのか?今回はG-SHOCKのリリースとその人気のひろがりを皆さんにご紹介します。
・G-SHOCKは最初、日本では売れなかった?

1983年に日本、アメリカ、北欧と世界同時リリースされましたが、販売開始当初は日本国内は反応が薄かったそうで、国内ではリリース後5年ほどは発売当初も特に話題にもならず、「ただ店頭に置いているだけの状態が続いた」とのこと。リリースしたはいいものの、新規ブランドとしては「鳴かず飛ばず」だったと言われていました。
「壊れないデジタルウォッチ」というコンセプトはむしろ最初はアメリカで注目を集めました。
・G-SHOCKは「炎上」した?

ブレイクの発端は1984年のアメリカでのTVCMと言われています。「丈夫で壊れないこと」を明確にアピールする手段として、アメリカで人気のある激しいスポーツの1つであるアイスホッケーが選ばれました。
内容は本場のアイスホッケー選手が、実戦さながらパックの代わりにG-SHOCKのDW-5200Cをショットし、キーパーがしっかりとキャッチをする。キャッチしたグローブの中でG-SHOCKは壊れることなく変わらずに動いている。といったもの。
インパクト抜群のキャッチーな内容であることは間違いないですが、当初、このCMの放送時は「こんな時計はありえない」とアメリカの消費団体から注目され「誇大CM」、「過剰広告」として「炎上」したそうです。
アメリカでのG-SHOCKリリースのCM
『G-Shock: Original 1983 Television Commercial』(YOUTUBE:G-Shock Australiaより)
・ピンチはチャンス?G-SHOCKのブレイクのきっかけ

疑いが元で騒動となってしまっていることから注目を浴びたG-SHOCK。しかし、逆を返せば、多数の消費者が疑いと共に大きな関心をG-SHOCKに寄せていたことにもなります。(実際に噂を検証するTV番組にG-SHOCKの耐久性を番組内で検証してほしい旨の投書も山ほどあったとか。)
そこで全米ネットのニュース番組が、実際に同じシチュエーションを生放送で実験。
タイムリーで全米が注目する中、なんとG-SHOCKは壊れることなくしっかりと動いていた!とのことで、その耐衝撃性能を実証したといった事実から、「壊れない腕時計」として全米での信頼性を勝ち取ったといわれています。(路上にG-SHOCKを置き、巨大トラックに轢かせるという実験もクリアしたそうです。)
これが契機となり、消防士、警察官、軍隊などの過酷な環境に身を置く人々や、アウトドア愛好家、スケートボーダーなど、アクティブな趣味やスポーツをする人々を中心にG-SHOCKのユーザーが増えたといわれます。
ピンチな状況を逆転させて人気を得たこの痛快なエピソードはG-SHOCKの逸話といわれています。
・日本国内のG-SHOCKのブレイクはアメリカからの「逆輸入」?

また、1990年にリリースされたDW-5900C。デジタル表記のクロノグラフという機能性から、現在付いている呼称は”三つ目”。初回リリース以降から健在であるG-SHOCKの古参モデルシリーズです。
G-SHOCKの堅牢性が先の件で認められており、スケートボーダーの方々も使用している中で、その斬新なデザインがアメリカ西海岸のスケーターにファッションアイテムとして受け入れられたという経緯があります。「G-SHOCKは頑丈でカッコイイ腕時計」として若者ファッションのブランドとして定着。
それが日本のファッション誌にとりあげられ、国内でも若者を中心にG-SHOCKのユーザーが増えたそうです。メイドインジャパンのG-SHOCKがアメリカから日本に逆輸入する形で人気が出てきたと言われています。
2025年の現在、店頭で接客もさせていただいておりますが、40代、50代のG-SHOCKユーザーの方々は若い頃にG-SHOCKを購入したことがあったり、当時の流行を肌で感じている方が多いとも感じます。
先んじてアメリカでは人気を得ましたが、国内でファッションとしての流行が発生するまで、7年以上の時間を要したことになります。このエピソードがなければ、G-SHOCKはアメリカでの販売ブランドになっていたかも知れませんね。
・まとめ
今やメイドインジャパン商品の代表格として世界に認知されているG-SHOCK。その始まりはアメリカで「ありえない時計」との炎上。しかしピンチをチャンスに変えて見事信用と信頼を勝ち取り、人気になっていったというものでした。
また、次第にスケーターを中心に「実用性のあるカッコイイ時計」という定着と認知が生まれ、それが日本に逆輸入するという形で伝わったという流れになります。
とあるブランドや商品が人気になっていく上でのエピソードをよく耳にすることがありますが、G-SHOCKはその代表格とも言えますよね。